東京都立白鴎高校は、昔は、府立第一高女だった。
それよりももっと前は、東京府高等女学校だった。
なので、白鴎高校と改称してからの卒業には、「白」を頭に冠し、我々は「白17回」と書く。
鴎友会の「鴎友」第155号からの抜粋
鴎友会創立120周年記念号 平成23年(2011年)12月20日発行
浅草区七軒町への移転
本校は、1889年(明治22年)東京府高等女学校として現在の中央区築地に発足し、
1896年(明治29年)千代田区神田錦町への移転を経て、1901年(明治34年)東京府立第一高等女学校
と改称されると同時に浅草区七軒町の出羽松峰(松山)酒井家の藩邸の跡地に新校舎が建設されることが決定、
翌1902年から工事期間一年余りをかけ1903年(明治36年)8月に落成しました。
浅草七軒町の区域は、昭和39年10月までその名を使用しており、本校一角が町域の大半を占めていたようです。
明治28年に春日通りが開通され、奥から厩橋、手前に御徒町、湯島切通し方面と繋がっていました。
不忍池から流れ出た水は忍川と呼ばれる細流となり、複雑に屋敷地を蛇行し、
本校前を経て三味線堀に落ちたと言われています。
ちなみに、酒井藩は出羽飽海郡松山(山形県酒田市)の譜代大名でしたが、
戊辰戦争で敗れ明治元年2500石を減封、翌2年に藩名を松嶺と改称されました。
「七軒町」とは酒井邸の華蔵院門前に七軒民家があったことにちなむと言われています。
「御徒町」の由来
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